「福いいナー!をさがせ!」#03 山本正男さん
福いいネ!くんの相棒「福いいヌ!」は、福いいネ!なニオイが大好き。その鋭い嗅覚で、福井のまちにあふれる福いいネ!を探し出すのが大得意です。
福井には、思わず「福いいネ!」と声を上げたくなるような、すばらしい人たちがたくさんいます。みんな知ってる著名人だけでなく、中には、知る人ぞ知る逸材も!
そこで、福いいヌ!の鼻を頼りに、福井でがんばっている人、活躍している人を探し出し、皆さんに紹介していく新企画を始めました。題して、福いいナー!(=福いいネ!な人)をさがせ!
第三回は、山本正男さんを紹介します。
#03 山本正男さん
日本水仙の三大群生地の一つである越前海岸。中でも越廼地区南部の下岬地区は、日本水仙の発祥の地といわれ、栽培される水仙は「越前水仙」のブランド名で全国に出荷されています。そんな下岬地区で水仙を栽培している山本正男さんは、水仙の出荷組合である「こしの水仙部会」の会長を務める、水仙農家のリーダーです。
毎年1~2月に見頃を迎える越前海岸の水仙畑。一面に広がる白・緑・黄色は冬の越前海岸に彩りをもたらし、見る人の心に癒やしを与えてくれます。
その風景、実は、水仙の出荷がひと段落したあとの水仙畑ということをご存じでしょうか。水仙農家の繁忙期は、水仙が開花する前の11~1月上旬。越前水仙は、細かい出荷規格が設けられており、花が咲く前のつぼみの状態で出荷する必要があります。つまり、水仙が咲き誇るころには、越前水仙の出荷作業はほとんど終わっているのです。
他にも、花茎の長さや葉の色など、細かい出荷規格が設けられている越前水仙。規格に沿って水仙を選定し、1本ずつ丁寧に収穫しています。
山本さんは、自分で育てた水仙が越前水仙として世に出ることに誇りを持ち、出荷の選別作業にも細心の注意を払っています。そんな厳しい規格をクリアした越前水仙は、生け花をする全国の華道家たちからの信頼も厚く、新春を飾る花として人気を博しています。
山本さんが住む下岬地区は、西側に岩礁と崖が連なる海岸線を持ち、ごくわずかな平地部に集落が形成されています。
現在では日本一の栽培面積を誇る越前海岸一帯ですが、最初から水仙の群生地だったわけではありません。かつては、根菜や桑の畑作、棚田での稲作などを営んでいましたが、稲作の減反政策や水仙の特産化など、時代の流れにより、平成初期には、集落に近い傾斜地のほとんどが水仙畑になりました。厳しい越前海岸の冬の暮らしを支える貴重な収入源として、この地の人々が水仙栽培を選択し、広がっていった「畑」なのです。
そんな下岬地区で、山本さんが両親から水仙畑を引き継ぎ、水仙の栽培を始めたのは約20年前、50代のころです。「小さいころから水仙の手入れをする両親を見て育ってきた。いつか自分が水仙畑を継ぐという覚悟はずっとあった」と当時を振り返ります。
厳しい出荷規格をクリアするための栽培方法や収穫のタイミングの判断などは、「両親の手伝いをする中で自然と学んだ」と言います。
水仙の切り花だけでなく、球根も出荷している山本さん。球根は、切り花用の畑とは別の専用の畑で栽培しています。「傾斜地だと球根が転がって落ちてしまうので、球根を育てるには平地の方が良い。ここはもともと田んぼだったところ」。
山本さんを含め、この地の人々が地形の制約を乗り越えて、水仙栽培を広げていったことがうかがえます。
山本さんは、下岬地区にある年中水仙を楽しむことができる施設、越前水仙の里公園にも球根を卸しており、栽培・展示している水仙の多くは、その球根から育っています。
越前水仙の里公園の職員は「『ここの水仙は他と比べても香りが強い』と訪れた方に喜んでいただいている」と言い、山本さんが育てた球根は、訪れた人に笑顔を届けています。
山本さんは、水仙を手にした人や水仙畑を訪れた人からもらえる「いい水仙やね」という言葉が、原動力であり、水仙栽培の魅力だと語ります。「水仙はこの辺の人にとっては日常の風景だけど、やっぱり満開の水仙畑を見ると、毎年いいなぁと思う。外の人から感想をもらえると、なおうれしい。この1年が報われたように感じる」。
さらに、「広大な海や夕日を見ながら作業できるのが幸せ」と笑顔で話します。日本海の潮風に揉まれることで香りが強く、花がひきしまるといわれている越前水仙。人間もまた、日本海の美しい景色から活力をもらっているのです。
すっかり福井の冬の風物詩となった越前海岸の水仙畑。人々が地域の自然と関わりながら生計を立て、生活を営み、長い年月をかけて築き上げてきた、福井を代表する景観です。
しかし、歴史と風土に根ざした暮らしの景観は、身近であるがゆえに、その良さに気づかれずに失われていきます。文化財保護法では、こうした景観を「文化的景観」に指定し、文化財の一つに位置付けることで、保護を図っています。
令和3年3月には、「越前海岸の水仙畑 下岬の文化的景観」が、「越前海岸の水仙畑 上岬の文化的景観」(越前町)、「越前海岸の水仙畑 糠の文化的景観」(南越前町)と合わせ、福井県内では初めて、国の重要文化的景観に選定されました。花の栽培地としては、全国で初めての選定です。
山本さんは、「小さなころから生活の一部として見ている水仙栽培は、特別なことではなく普通のこと」と言いますが、毎年続けていくことは並大抵のことではありません。
水仙を栽培する上で、最も大変なのが、6月と9月の年2回行う水仙畑の草刈りです。9月に球根から発芽する水仙。その時期に雑草があると水仙の生育を阻害するため、背の丈ほどに伸びた草を全て刈ります。
広大な畑を1人で草刈りするのは、相当の時間と体力を要します。山本さんは、「若いころは高齢農家の草刈りをよく手伝っていた。自分も74歳になった現在、昔のように体が動かない。暑い時期の作業となり、本当に大変」と苦労を語ります。
現在、下岬地区の水仙農家が直面している課題が二つあります。
一つ目は、イノシシやシカなどによる獣害。近年、被害が急増しており、大きな問題となっています。
「イノシシによる球根の掘り起こしやシカによる葉や花、球根の食害によって、山側の水仙畑では水仙がなくなってしまったケースがある。そういった被害が広がると、栽培する意欲が低下したり、出荷量が減少したりして、それを機に農家が栽培をやめてしまうことにもつながる」と嘆きます。
畑を柵で囲うなど対策をしているものの、野生動物の侵入を防ぐのは難しく、不安は尽きないという山本さん。「水仙の花はきれいだが、水仙の栽培はきれいごとだけでは続かない。安定した収入が得られてこそ、続けられる」。
二つ目は、水仙農家の高齢化です。山本さんは、今後の産地継続に危機感を示します。「この辺りの水仙農家の平均年齢は80代以上で、74歳の自分はまだまだ若いほう。水仙栽培に限らず、一次産業をしている人からは、後継者がいないという話をよく聞く。自分にも跡継ぎはいない。できるところまでは続けていきたいと思っているが、そのあとはおしまいかな」。
現在は、自身の畑のほか、後継者がいない畑までも借り受けて水仙を栽培している山本さん。後継者がいないという問題を抱えながら、この地と越前水仙の未来を考え、今自分にできることを実践しています。
「昔は50代で定年退職し、親の姿を見ながら自然と水仙栽培を始めることができた。でも今は、60代、70代でも働く人が多い。退職後に親から畑を継ごうと思っても、自分も親も体力的に厳しい。親から子に継承というのは、なかなか難しくなってきている」。
時代が変化する中で、下岬地区だけでこれからを考えるには限界があることを山本さんは痛感しています。
だからこそ、地区外の人や若者の水仙栽培への新規参入に大きな期待を込めて呼びかけます。「生け花などで非常に需要はあるのに、人手不足でなかなか出荷できていない。新規就農など、最初3年くらいは準備に時間がかかるが、軌道に乗れば、収入に結び付く。やる気のある方、大歓迎」。
もしこのまま受け継ぐ人が現れなければ、近い将来、下岬地区の水仙畑は消滅してしまうかもしれません。水仙の産地と美しい景観を維持していくために、私たちに何ができるでしょうか。
みんなで水仙を育てていく、子どもたちや孫の代までつないでいく。そのために、できることから始めてみませんか。
新しい動きが生まれています!
今年6月、山本さんの畑の草刈りに20~60代のボランティアが集まりました。「昨年水仙の収穫を体験させてもらった」「イベントに水仙を提供してもらった」など、山本さんとのつながりは参加者それぞれ。
山本さんは、「近年は、縁があって若い人に草刈りを助けてもらっている。水仙栽培には仲間づくりが大切。人と人との助け合いで成り立っている」とうれしそうに話します。
作業後、参加者からは「水仙農家の苦労が分かった」「達成感でいっぱい」「この冬の水仙畑の景色を見るのがより一層楽しみになった」などの声が聞かれました。
9月に実施される草刈りに参加してみる、これができることの第一歩かも…?(日程は未定です。興味のある方は広報プロモーション課までお問合せください。)
「福いいナー!をさがせ!」は動画でもご覧いただけます
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福井市広報プロモーション課