「福いいナー!をさがせ!」#08 真杉高弘さん
福いいネ!くんの相棒「福いいヌ!」は、福いいネ!なニオイが大好き。その鋭い嗅覚で、福井のまちにあふれる福いいネ!を探し出すのが大得意です。
福井には、思わず「福いいネ!」と声を上げたくなるような、すばらしい人たちがたくさんいます。みんな知ってる著名人だけでなく、中には、知る人ぞ知る逸材も!
そこで、福いいヌ!の鼻を頼りに、福井でがんばっている人、活躍している人を探し出し、皆さんに紹介していく新企画を始めました。題して、福いいナー!(=福いいネ!な人)をさがせ!
第八回は、真杉高弘さんを紹介します。
#08 真杉高弘さん
古くから「足羽川林業地」の名称で、全国でも有数のスギの生産地帯として知られる福井市美山地区にある高田町。そこに、兼業林家たちが中心となり、精力的に活動を続ける「フォレストケア高田」というグループがあります。
昭和30年代以降、高度経済成長期の建築ブームに伴い林業が振興され、大型で高性能な林業機械が開発・導入されるなど、林業は大規模化されました。その一方で、外国産材の輸入関税が撤廃されると、木材価格は一気に下落しました。これにより、森林の所有者(林家)は林業で生計を立てることが難しくなり、大部分の林家において他産業との兼業化が進み、山林の管理を所有者自らが行う機会が減少しました。そこで、失われた山村の活気を取り戻そうと、高田町内で平成6年3月に結成されたのがフォレストケア高田です。
フォレストケア高田は、林家が自分たちで安全で効率的な作業を実施するための知識と技術を習得するための研修会を年間2、3回行っているほか、夏から秋にかけて、林家から依頼のあった山林の除伐、間伐、枝払い、搬出・造材などを行っています。
林業の普及・継承に向けたこれらの取り組みは、令和5年度全国林業改良普及協会会長賞を受賞するなど、全国的にも注目されています。
フォレストケア高田で平成25年ごろから中心的役割を担い、現在はアドバイザーとして会員の指導役を務めているのが、真杉高弘さんです。
最初にフォレストケア高田を立ち上げたのは、真杉さんの「師匠」である故 八杉健治さん。「実は私は、真杉家の養子として高田町に来たので、最初は山の土地の境界すら分からなかった。そのときにいろいろと林業のことを教えてくれたのが八杉さん。八杉さんの発案で油圧ショベル(土砂の掘削や積み込み、整地などを行うための機械)なども導入したし、作業現場に行く林道の整備も八杉さん世代の力によるもの。私たちの現在の活動の根底には、こういった先人の努力がある」と真杉さんは話します。
皆さんは「自伐型林業」という言葉を聞いたことがありますか。現在、日本では、山の所有者が自ら山林を管理するのではなく、森林組合などの事業体に経営などを委託する「施工委託型林業」が一般的です。
また、50年ほどで全ての樹木を伐採し、その後に再造林する「短伐期皆伐施業」が採用されてきました。この方法だと、作業が大規模になったり、大型機械を用いる必要があったりするなど、高コストで森林の持続に向けた負担が大きいものでした。
そこで近年登場したのが、自分の所有する山林を自ら管理する自伐型林業です。全体の2割ほどの木の間伐を、少しずつ長期にわたって繰り返すことで、木の成長を促し、森林の価値を高めることが期待できます。また、作業規模も小さくなり、大型機械も不要となるため、持続しやすい林業形態になります。
フォレストケア高田でも、この自伐型林業に積極的に取り組んでいます。
実際に間伐の作業の一部を見せてもらいました。
木を倒す方向にチェーンソーを使って切り込みを入れます。慎重に角度を計りながら、しかし迅速に作業を行っていきます。切り込みを入れ終わると、その反対側にくさびを打ち込んでいきます。くさびをハンマーで何度かたたくと、真杉さんの「倒れるぞ」という合図の直後、杉の木が大きな音を立てて地面に倒れました。
倒した木は、枝を落とし、長さを切りそろえて、丸太にします。付近には間伐したばかりの丸太が何本も積み上げられています。
間伐した丸太を森林組合に売却し、 その端材は木を燃やして電気を作る「木質バイオマス発電」などに用いられるそうです。
真杉さんが、自伐型林業に本格的に携わるようになったのは、勤め先を定年退職した60歳のときでした。
「林業を始めたころは、自分では結構上手なつもりでいましたが、今思うと、技術レベルは相当下だったなと思います。例えば木を伐採するにしても、1本ずつ条件が全然違います。すごく急な斜面で切らないといけなかったり、下の方に腐りが入っていたり、倒したい方向に倒しにくい場合だったりと、さまざまな条件に合わせ、倒し方を工夫しています。多分昔だったら倒せなかったなっていう木を、今ではどうにか倒せるようになってきた。そういうところに自分の成長を感じます。一方で、山の仕事も奥が深くて、今でも自分の技術が完成されておらず、まだまだ先があるなとも思っています。でも、そう思っている間は、まだ上達できるかなとも思っています」と当時を振り返ります。
「定年延長せず、すっぱり辞めて山に入ろうって決心したのが、定年になる1年前。そのときに最初に決めた目標が、『15年間、75歳まではとにかくやろう』ということ。燃えているというか、積極的な気持ちで山に入りました。そのころの思いと比べれば、直線的な思いはなくなったかもしれないけれど、68歳の今でも、山に対する気持ちや情熱はまだ衰えていない。もう少しあそこもここもきれいにしたいという思いが残っています」と話に熱が入ります。
「最初は全部が大変でした。ただ、それでも続けることができているのは、やっぱり山が好きだったからなのでしょうね。それが良かったのだと思います。ちょっとしばらく苦しかったかなって思うことは、フォレストケア高田の会長を務めていた令和2、3年ごろまで。行事をこなしたり、何日に何人集めるという動員の段取りをしたり、そういうことをずっと考えていないといけなかったので、結構しんどい部分もありました。2年半前に会長職を次の人に譲ることができて、悩むことが少なくなった。それで気持ちが少し楽になりましたね」
真杉さんたちは、自身で林業を行う傍ら、地元小学生の林業体験学習の講師を務めています。
「今年は大きめの木と小さめの木を1本ずつ、計2本切りました。最後にくさびを打ち込んで倒すんですけどね。くさびを打つのはこどもたちの役割。順番にハンマーで打ち込んでいって、木を倒すと歓声が上がります。『うわーっ』というすごい歓声が上がって、楽しそうでした。こどもはこういう体験が好きですもんね。その木を大人も何人かサポートしてロープを使って引っ張って運び出す。一生懸命やりますよ、こどもたちは」
こどもたちの製材所見学に立ち会いました。
切り出された丸太を角材のかたちに切って、表面を削って滑らかにする作業を、興味津々にのぞき込むこどもたち。製材所の人に「何時から何時まで仕事しているの?」、「木を切る機械の刃の部分はどうなっているの?」などと次々に質問をしていました。また、滑らかになった木の表面に触れると大興奮。「すごい!」「スベスベだ!」などと歓声が上がっていました。
その様子を見て、真杉さんは、「木に触れて、そんなに喜んでくれるのはうれしい。まずは木に親しみを持ってもらって、林業を継ごうという子が出てくれれば」と、将来に期待を寄せます。
山を所有している人には、もっと山に触れる機会を持ってほしいと、真杉さんは話します。「山に触れないまま次の世代になってしまうと、土地の境界も含めて、全く山のことが分からないまま所有することになる。せめてある程度の道筋をつけて、次の代に渡していってほしいです。山に触れる機会さえあれば、隣の林の持ち主が誰かなど、自然と気になってくるはず。山というのは、こうして継続されてきたのです」
それでも、何から始めたら良いか分からない人も多いかもしれません。そんな場合はどうすれば良いか尋ねました。「私に何でも聞いてください。林業は確かに危険な仕事ではあるけれど、基本に則ってやれば大丈夫です。私が一緒に現場へ行き、下刈り機や、チェーンソーなどの使い方やメンテナンスの方法をお伝えします。そうすれば、生計を立てることは難しくても、自分の山を管理して、丸太を出せば、お小遣い程度の収入はあります。自分の持ち山を管理しながら、お小遣いをもらう。そういう感覚でやってもらえれば、いくらかの楽しみはあります」
森林は、人の生活に欠かせないものです。水を蓄えることで土砂災害を防いでくれます。光合成により酸素を作ってくれます。降った雨の汚れを取り除いて、きれいな水を作ってくれます。積もった落ち葉や腐葉土を食べる虫や微生物を育てて、それらが魚たちの栄養になります。また、家や家具、紙の材料にもなります。森林浴は、人のストレス解消につながり、リラックス効果があります。近年では、前述した木質バイオマス発電も行われています。
そんな森林を守るために私たちに何ができるのか、真杉さんに尋ねました。「山菜採りみたいに、レクリエーション的なことから入っていただけたらいいんじゃないですかね。山で楽しいことがあるということから始まって、だんだん山の木を見るようになったら、荒れた山とそうじゃない山が分かるようになって。『やっぱりきれいにしないと』と考えるようになると思います。また、積極的に木材を使ってほしいですね。県産材を使って家を建てるといくらかの補助が出るし、木の壁や家具の感触は優しい。身近にできる楽しみを見つけることから始めてほしい」
皆さんも、大切な山を守るために、山や木に触れることから始めてみませんか。